静寂が広がる中を、三つの足音が響いていた。
足を進めるごとに音は続き、そこには僅かに呻き声のようなものも混ざっている。
ただしそれは、悪い意味のものではなかった。
「うーむ……確かに美味かったのじゃな。学院は元より王城に勤める料理長が作るものよりも美味だった気がするのじゃ……悔しいのじゃが」
その言葉が本心からのものであることを示すが如く、ヒルデガルドの眉は寄せられ、皺を作り出しており、だが同時に口元は緩んでいる。
認めたくはないが認めざるを得ないという心の動きを、その顔は見事に表現していた。
とはいえ――
「別に料理とアレは関係ないのであるし、素直に褒めればいいのではないであるか?」
「む……確かにそれもそうなのじゃ。うむ、なら素直に美味しかったと言っておくのじゃ!」
「だからキミ達、ボクに対して失礼だよ? まったく、困ったものだ……」
まったく困っていない風にそんな言葉を口にするサティアに肩をすくめながら、ソーマ達は先へと進んでいく。
食堂を後にし、部屋へと戻る途中であった。
その言葉からも分かる通り、結局はヒルデガルドもここで昼食を取ることになったのだ。
食事どころかろくな休憩も取らず全力で往復してきたらしいヒルデガルドに食事抜きと告げるほど、ソーマも鬼ではないのである。
サティアはヒルデガルドを放って普通に戻ろうとしたあたり、どうやら鬼らしいが。
ちなみに、それに対しヒルデガルドが、貴様鬼か!? と叫んだところ、サティアは、いや神だけど? と返したことを記しておく。
もっとも、そんなことを言いつつも普通にヒルデガルドの昼食が出てきたあたり、ソーマに告げた言葉も含めてどこまでが本心なのやらというところではあるが……閑話休題。
「さて、ところで戻ったら勉強、ということでいいのであるか?」
「んー、そうだね、まあそうなるかな。多少余裕はあるはずだけど、あまり悠長にもしていられないしね」
「ふーむ……そもそもの話、貴様は余裕があると言うのじゃが、それはどうして分かるのじゃ?」
それは当然と言えば当然の疑問だ。
実際ソーマも疑問に思っていたことであり、だが視線を向けると、元凶を自称する存在は何でもないことのようにへらりと笑みを浮かべてみせた。
「やだなあ、ボクは神だよ? 世界に直接繋がってるんだから、世界が何をしようとしているのかぐらいを漠然とならば察すぐらい訳ないさ。ま、それ以上の詳細は無理なんだけどね」
「ふむ? どうしてである?」
「それ以上深く知ろうとするってことは、こっちの考えもバレるってことだからね。さすがにボクを失ったら管理者が完全にいなくなっちゃうからボクをどうこうするってことはないだろうけど、ほぼ確実に計画は変わっちゃうだろうからそれは百害あって一利なしかな」
「ん? 何故貴様を害せないのじゃ? 世界が死のうとしている以上は別に管理者などもう必要ないじゃろう?」
その言葉に同意するように、ソーマも一つ頷いた。
これから自殺しようとする者が、自分のことを介護してくれる者が必要などと考えはしまい。
それに話によれば、世界が死ぬとサティアも死ぬのだ。
ならば尚更そんなことはないはずである。
「いやー、別に世界も無軌道に死のうとしてるわけじゃないからね。あくまでも他の世界に影響を与えないために死ぬわけであって、そこにはある程度正当な手段が必要なのさ。そしてそこに至るまでは世界をきちんと運営していかないと、それはそれで他に影響を及ぼしかねないからね。最後までボクが必要なことに変わりはない、ってわけさ」
「ふむ……色々と面倒なのであるな」
「まあそのおかげでボクはこうしてまだ生きていられるわけだけどね」
「ん? その言い方からすると、貴様が邪魔しようとしているのが知られていることに……いや、知られていないわけがないのじゃな」
「邪神を討つ手伝いをしたのはボクだからね。だからある程度は向こうもボクに邪魔されることを想定してると思う。キミ達に色々と教えようとしてるのも、その対策の為って面もあるしね」
話を聞いていると随分と人らしい存在のようにも思えるが、それは単純にサティアがこちらに分かりやすいようにそうしているだけなのだろう。
世界というのは、神よりもさらに上の超高次元的な存在だ。
思考も価値観も、人に測れるものではないに違いない。
「とりあえず、そういうわけでボクに分かるのは、世界が本格的に動き出すまではまだ時間はあるってことぐらいかな。今は世界の方も準備段階ってことだね」
「ならば今のうちに攻めてしまうのが良い気もするのじゃが……それが可能ならば貴様がそう言っているのじゃろうな」
「まあね。どうしてその手が取れないのかはそのうち説明するけど……一番大きな理由は、やっぱり手掛かりがないから、かな? 自殺しようとしていることが分かっても、手段が分からなければ止めようがないからね。闇雲に見つかるかも分からないものを探すよりは、確実に訪れるだろう時に備えておくべきだってことさ」
そんなことを言っている間に、ソーマ達は先ほどサティアに会った部屋にまで戻って来た。
ちなみに、大分今更ではあるが、ソーマ達がいるその場所は、神殿だ。
聖都の中央に位置する、様々な意味での中心地。
その最奥の場所が、現在顕現している神が暮らしているこの場所なのである。
聖神教の信徒であれば誰であろうとも感激に震えるだろうそこへと、ソーマは無造作に踏み入りながら、ふとあることを思い出した。
「そういえば、エレオノーラは中々戻らんであるな?」
「ああ。まあ、彼女は色々と忙しいからね。そんな中でさらに街中に悪魔が出現しちゃったわけだし、今頃は大変なことになってると思うよ?」
「ふむ……まあ、ここの主だということを考えれば当然であるか」
「というか、当たり前のように悪魔が現れたことを知っているんじゃな。まあ、あやつが現れたタイミングを考えれば当然じゃろうが」
「ま、ここはボクのお膝元だからね。そのぐらいは分からなければ話にならないさ」
おそらくはそれだけが理由なのではないのだろうが、どうせ言ったところで答えまい。
尋ねられたところで答えるようならば、最初から提示しているだろうからだ。
そんなことを考えながら、適当な場所へと腰かける。
ヒルデガルドも同じように腰かけ、それを確認したサティアは一つ咳払いをすると少し改まった口調で口を開いた。
「さて、ともあれここに戻ってきたわけだし、早速ではあるけどお勉強を始めるとしようか。さっきも言ったけど、時間はあっても余裕はないからね」
「ふむ、それは問題ないであるが、まずは何から始めるのである?」
「そうだね……まあやっぱり、ボク達の敵となる存在のことから、かな?」
「敵……つまりは、悪魔というわけじゃな?」
「そうなんだけど、厳密にはその少し前から、かな?」
「前、であるか?」
「うん。そもそも、何故こんなに悪魔が出現するようになったのか、というところからさ」
言われてみれば、前世では悪魔は百年に一度出現するか否か、と言われていた存在だったのだ。
しかしそれと同種だというこの世界の悪魔は、話によれば一月に一度ほど現れているという。
ここ一、二年の話だということだが、それにしても頻度が高すぎるだろう。
「ふむ……そういえば、そもそもこの世界では悪魔という存在そのものがあまり知られていないのであったか? となると、あの世界よりもさらに本来は頻度が低かった、という可能性もありそうであるな……」
「そうだね、キミの推論は正解だ。特にここ五百年ほどの間はほぼ出現しなかったはずだよ」
「五百年前……邪神のことが関係していそうじゃな」
「それも正解だ。で、ここでちょっとだけ話が前後するんだけど……ボクは幾度か邪神を討った、と言ったことはあると思うけど、滅ぼしたとは口にしていないはずなんだよね」
「ふむ……確かにそうかもしれんであるな。それはつまり、邪神は実は滅んでいない、ということであるか?」
「厳密な意味ではそうなるかな? より正確には、完全には滅ぼさなかった、ということになるけどね。その証拠をキミ達は知っているはずだよ」
「……邪神の力の欠片、じゃな」
なるほど、確かに力が生きているということは、完全に滅んだとは言えないということだ。
アレに関しては疑問を覚えたこともあったが――
「滅ぼさなかった、ということは、敢えて、ということであるよな?」
「そうなるね。だって完全に滅ぼしてしまったら、そのままこの世界も滅んでしまっていただろうからね。彼女は堕ちても神であることに変わりはなかった、というのは以前に言った通りだけど、彼女を完全に滅ぼすということは、即ち彼女の持っていた権能の半分が消失してしまうということを意味していたのさ」
「……それは確かに、そうするわけにはいかんのじゃな。しかしということは、どうしたのじゃ?」
「それもまたキミ達が見た力の欠片が正解なんだけどね。ボク達は彼女の魂を砕いて、分割封印したのさ。そしてボクがそこから少しずつ権能を取り出すことにした。意識がなく分割された力だけの存在となったのであれば、可能だったからね」
「……もしや、汝が寝ていたのは、そのためでもあった、というわけであるか?」
それはふと思い浮かんだだけのことではあったが、どうやら正しかったようだ。
正解、とばかりにサティアが笑みを浮かべた。
「相変わらず察しがいいね。そ、ボクが寝ていたのは封印やら何やらで力を使い果たしてしまったからでもあるけど、そのためでもあったのさ。ボクは既に多くの権能を持っていたからね。ボクの意識が下手にあると、その辺が反発して上手くいかなかったんだ」
「ふむ……つまりこうして起きているということは、それが終わったということであるか?」
「いや、実はまだ終わってはいなくてね。五日間キミを待たせたのはヒルデガルドを待つためだったけど、ボクが普段は寝ているというのは本当のことなのさ。ただほとんど終わってはいるんだけど……で、キミ達に質問なんだけど、権能を取り出し終えたモノはどうなると思う?」
「どうなるも何も……ああ、なるほど。つまりあの力の欠片は、権能が全て取り出された後の状態だった、というわけなのじゃな」
「うん、それでこれはボクも後から気付いたんだけど……ボク達は力の欠片を世界各地に散らばらせたんだよね。近くにあったら何かの拍子で干渉しあって大変なことになるかもしれないと思ったから。そしてどうやらそれが、一種の蓋のような役割を果たしていたようなんだ」
つまりは、悪魔が出現しなかったのはそれが原因、ということらしい。
強力な力が蓋となっていたため、悪魔が現れることが出来なかったのだ。
「でも、つい五年ほど前にそのうちの一つが壊された」
「……悪魔が頻繁に出てくるようになったのは、それが原因、ということなのじゃ?」
「いや、そうじゃないよ? 抑えつけていたとはいえ、それがなくなったところで元に戻るだけだからね。だから問題なのは……その力は抑えておくだけじゃなくて、悪魔を呼び出す媒介としても使えてしまった、ということかな?」
「……あの時のことであるか」
「うん。そしてどうやら世界はそれを認識してしまったらしくてね。ほら、試すには絶好なものが都合よく飛び散っていたし」
「我輩が消滅させそこなったもの、ということであるか……」
どうやら思っていた以上に、因縁があるらしい。
最初からそのつもりではあったが、これは是が非でも何とかせねばならないようだ。
「自分のケツは自分で拭かねばならぬであろうしな……」
「まあ実際にはキミの責任はそこまでないんだけどね。正直ボクはそのことに世界が気付いてしまうのは時間の問題だっただろうと思ってるし。それに、本当の問題はそこではないんだよね。もう一度言うけど、今悪魔が頻繁に出現してるのは、あくまでも実験なんだよ」
「なるほど……本番はこれから、ということなのじゃな」
「砕かれてはいない力の欠片を使っての顕現、ということであるか。砕かれた欠片であれほどの悪魔が呼び出せたということは……」
「うん、かなり強力な最上位の悪魔が出てくるだろうね。しかも今は力が弱いから人に取り憑かなければ存在を保てないけど、それらはきっとそういうことはない」
各地にあるという、あの時のソーマが全力を使っても相殺しきれなかった力と、同等のもの。
それを媒介に使うというのであれば、確かに相当に強力な存在が現れるに違いない。
「だがその封印をしたのは、汝らなのであろう? ならば今のうちにその場所にいって力の欠片を消滅させてしまえばいいのではないであるか? おそらく今の我輩ならば可能であろうしな」
「そうできればよかったんだけど……実はボクは正確な場所を知らないんだよね。万が一の時のため……ボクも壊れて堕ちてしまった時、その力を悪用する事がないように。ボクの力を使って封印はしたけど、ボクは現場には赴かなかったんだ。権能を取り出すだけならば、それでも可能だったからね」
「ふうむ……なるほどそれは……」
「見事に裏目に出たのじゃな……」
とはいえ、さすがにそれを責めるわけにはいかないだろう。
ヒルデガルドもそれは分かっているようで、責めるようなことは何も言わず……だが、あるいはその方がよほど堪えたのかもしれない。
サティアは何かを言いたげに口を開き、しかし結局その口から出てきたのは話の続きであった。
「……ともあれ、残された力の欠片は、四つ。だから、ほぼ四体の強力な悪魔が出てくると考えてくれていいと思う。彼女の力を使って現れた、世界を滅ぼす意思を持った悪魔だ」
「ふむ……それでも正直に言うのであれば、正面から来てくれるのであれば負ける気はしないのであるがな。汝もそう思ったからこそ我輩に声をかけたのであろうし」
「まあね。ただ……あくまでもそれは、正面から来るならば、の話なんだよね」
「悪魔というのは、基本狡猾じゃからな……」
「うん。単独で顕現可能だとはいえ、本当にそうなっているとは考えない方がいいとは思う。協力者を作るんじゃないかな、ってのがボクの推論かな。力を持った人を相手に、自分に都合のいい情報を与えたりして誑かすんじゃないか、とかってボクは思ってるよ」
「ありえそうな話であるな……」
少なくとも、それを否定する材料はない。
悪魔が狡猾だというのは、ソーマでも知っている程度には有名な話だ。
この世界ではどうなのかは知らないが……サティアの様子を見る限りでは変わりないようである。
つまりは、悪魔にだけ気をつけていればいいだけではない、ということだ。
まだほんの触りを聞いただけではあるが……思っていた以上の厄介事になりそうだ。
そう思ってソーマは、息を一つ吐き出すのであった。
静寂が広がる中を、三つの足音が響いていた。
足を進めるごとに音は続き、そこには僅かに呻き声のようなものも混ざっている。
ただしそれは、悪い意味のものではなかった。
「うーむ……確かに美味かったのじゃな。学院は元より王城に勤める料理長が作るものよりも美味だった気がするのじゃ……悔しいのじゃが」
その言葉が本心からのものであることを示すが如く、ヒルデガルドの眉は寄せられ、皺を作り出しており、だが同時に口元は緩んでいる。
認めたくはないが認めざるを得ないという心の動きを、その顔は見事に表現していた。
とはいえ――
「別に料理とアレは関係ないのであるし、素直に褒めればいいのではないであるか?」
「む……確かにそれもそうなのじゃ。うむ、なら素直に美味しかったと言っておくのじゃ!」
「だからキミ達、ボクに対して失礼だよ? まったく、困ったものだ……」
まったく困っていない風にそんな言葉を口にするサティアに肩をすくめながら、ソーマ達は先へと進んでいく。
食堂を後にし、部屋へと戻る途中であった。
その言葉からも分かる通り、結局はヒルデガルドもここで昼食を取ることになったのだ。
食事どころかろくな休憩も取らず全力で往復してきたらしいヒルデガルドに食事抜きと告げるほど、ソーマも鬼ではないのである。
サティアはヒルデガルドを放って普通に戻ろうとしたあたり、どうやら鬼らしいが。
ちなみに、それに対しヒルデガルドが、貴様鬼か!? と叫んだところ、サティアは、いや神だけど? と返したことを記しておく。
もっとも、そんなことを言いつつも普通にヒルデガルドの昼食が出てきたあたり、ソーマに告げた言葉も含めてどこまでが本心なのやらというところではあるが……閑話休題。
「さて、ところで戻ったら勉強、ということでいいのであるか?」
「んー、そうだね、まあそうなるかな。多少余裕はあるはずだけど、あまり悠長にもしていられないしね」
「ふーむ……そもそもの話、貴様は余裕があると言うのじゃが、それはどうして分かるのじゃ?」
それは当然と言えば当然の疑問だ。
実際ソーマも疑問に思っていたことであり、だが視線を向けると、元凶を自称する存在は何でもないことのようにへらりと笑みを浮かべてみせた。
「やだなあ、ボクは神だよ? 世界に直接繋がってるんだから、世界が何をしようとしているのかぐらいを漠然とならば察すぐらい訳ないさ。ま、それ以上の詳細は無理なんだけどね」
「ふむ? どうしてである?」
「それ以上深く知ろうとするってことは、こっちの考えもバレるってことだからね。さすがにボクを失ったら管理者が完全にいなくなっちゃうからボクをどうこうするってことはないだろうけど、ほぼ確実に計画は変わっちゃうだろうからそれは百害あって一利なしかな」
「ん? 何故貴様を害せないのじゃ? 世界が死のうとしている以上は別に管理者などもう必要ないじゃろう?」
その言葉に同意するように、ソーマも一つ頷いた。
これから自殺しようとする者が、自分のことを介護してくれる者が必要などと考えはしまい。
それに話によれば、世界が死ぬとサティアも死ぬのだ。
ならば尚更そんなことはないはずである。
「いやー、別に世界も無軌道に死のうとしてるわけじゃないからね。あくまでも他の世界に影響を与えないために死ぬわけであって、そこにはある程度正当な手段が必要なのさ。そしてそこに至るまでは世界をきちんと運営していかないと、それはそれで他に影響を及ぼしかねないからね。最後までボクが必要なことに変わりはない、ってわけさ」
「ふむ……色々と面倒なのであるな」
「まあそのおかげでボクはこうしてまだ生きていられるわけだけどね」
「ん? その言い方からすると、貴様が邪魔しようとしているのが知られていることに……いや、知られていないわけがないのじゃな」
「邪神を討つ手伝いをしたのはボクだからね。だからある程度は向こうもボクに邪魔されることを想定してると思う。キミ達に色々と教えようとしてるのも、その対策の為って面もあるしね」
話を聞いていると随分と人らしい存在のようにも思えるが、それは単純にサティアがこちらに分かりやすいようにそうしているだけなのだろう。
世界というのは、神よりもさらに上の超高次元的な存在だ。
思考も価値観も、人に測れるものではないに違いない。
「とりあえず、そういうわけでボクに分かるのは、世界が本格的に動き出すまではまだ時間はあるってことぐらいかな。今は世界の方も準備段階ってことだね」
「ならば今のうちに攻めてしまうのが良い気もするのじゃが……それが可能ならば貴様がそう言っているのじゃろうな」
「まあね。どうしてその手が取れないのかはそのうち説明するけど……一番大きな理由は、やっぱり手掛かりがないから、かな? 自殺しようとしていることが分かっても、手段が分からなければ止めようがないからね。闇雲に見つかるかも分からないものを探すよりは、確実に訪れるだろう時に備えておくべきだってことさ」
そんなことを言っている間に、ソーマ達は先ほどサティアに会った部屋にまで戻って来た。
ちなみに、大分今更ではあるが、ソーマ達がいるその場所は、神殿だ。
聖都の中央に位置する、様々な意味での中心地。
その最奥の場所が、現在顕現している神が暮らしているこの場所なのである。
聖神教の信徒であれば誰であろうとも感激に震えるだろうそこへと、ソーマは無造作に踏み入りながら、ふとあることを思い出した。
「そういえば、エレオノーラは中々戻らんであるな?」
「ああ。まあ、彼女は色々と忙しいからね。そんな中でさらに街中に悪魔が出現しちゃったわけだし、今頃は大変なことになってると思うよ?」
「ふむ……まあ、ここの主だということを考えれば当然であるか」
「というか、当たり前のように悪魔が現れたことを知っているんじゃな。まあ、あやつが現れたタイミングを考えれば当然じゃろうが」
「ま、ここはボクのお膝元だからね。そのぐらいは分からなければ話にならないさ」
おそらくはそれだけが理由なのではないのだろうが、どうせ言ったところで答えまい。
尋ねられたところで答えるようならば、最初から提示しているだろうからだ。
そんなことを考えながら、適当な場所へと腰かける。
ヒルデガルドも同じように腰かけ、それを確認したサティアは一つ咳払いをすると少し改まった口調で口を開いた。
「さて、ともあれここに戻ってきたわけだし、早速ではあるけどお勉強を始めるとしようか。さっきも言ったけど、時間はあっても余裕はないからね」
「ふむ、それは問題ないであるが、まずは何から始めるのである?」
「そうだね……まあやっぱり、ボク達の敵となる存在のことから、かな?」
「敵……つまりは、悪魔というわけじゃな?」
「そうなんだけど、厳密にはその少し前から、かな?」
「前、であるか?」
「うん。そもそも、何故こんなに悪魔が出現するようになったのか、というところからさ」
言われてみれば、前世では悪魔は百年に一度出現するか否か、と言われていた存在だったのだ。
しかしそれと同種だというこの世界の悪魔は、話によれば一月に一度ほど現れているという。
ここ一、二年の話だということだが、それにしても頻度が高すぎるだろう。
「ふむ……そういえば、そもそもこの世界では悪魔という存在そのものがあまり知られていないのであったか? となると、あの世界よりもさらに本来は頻度が低かった、という可能性もありそうであるな……」
「そうだね、キミの推論は正解だ。特にここ五百年ほどの間はほぼ出現しなかったはずだよ」
「五百年前……邪神のことが関係していそうじゃな」
「それも正解だ。で、ここでちょっとだけ話が前後するんだけど……ボクは幾度か邪神を討った、と言ったことはあると思うけど、滅ぼしたとは口にしていないはずなんだよね」
「ふむ……確かにそうかもしれんであるな。それはつまり、邪神は実は滅んでいない、ということであるか?」
「厳密な意味ではそうなるかな? より正確には、完全には滅ぼさなかった、ということになるけどね。その証拠をキミ達は知っているはずだよ」
「……邪神の力の欠片、じゃな」
なるほど、確かに力が生きているということは、完全に滅んだとは言えないということだ。
アレに関しては疑問を覚えたこともあったが――
「滅ぼさなかった、ということは、敢えて、ということであるよな?」
「そうなるね。だって完全に滅ぼしてしまったら、そのままこの世界も滅んでしまっていただろうからね。彼女は堕ちても神であることに変わりはなかった、というのは以前に言った通りだけど、彼女を完全に滅ぼすということは、即ち彼女の持っていた権能の半分が消失してしまうということを意味していたのさ」
「……それは確かに、そうするわけにはいかんのじゃな。しかしということは、どうしたのじゃ?」
「それもまたキミ達が見た力の欠片が正解なんだけどね。ボク達は彼女の魂を砕いて、分割封印したのさ。そしてボクがそこから少しずつ権能を取り出すことにした。意識がなく分割された力だけの存在となったのであれば、可能だったからね」
「……もしや、汝が寝ていたのは、そのためでもあった、というわけであるか?」
それはふと思い浮かんだだけのことではあったが、どうやら正しかったようだ。
正解、とばかりにサティアが笑みを浮かべた。
「相変わらず察しがいいね。そ、ボクが寝ていたのは封印やら何やらで力を使い果たしてしまったからでもあるけど、そのためでもあったのさ。ボクは既に多くの権能を持っていたからね。ボクの意識が下手にあると、その辺が反発して上手くいかなかったんだ」
「ふむ……つまりこうして起きているということは、それが終わったということであるか?」
「いや、実はまだ終わってはいなくてね。五日間キミを待たせたのはヒルデガルドを待つためだったけど、ボクが普段は寝ているというのは本当のことなのさ。ただほとんど終わってはいるんだけど……で、キミ達に質問なんだけど、権能を取り出し終えたモノはどうなると思う?」
「どうなるも何も……ああ、なるほど。つまりあの力の欠片は、権能が全て取り出された後の状態だった、というわけなのじゃな」
「うん、それでこれはボクも後から気付いたんだけど……ボク達は力の欠片を世界各地に散らばらせたんだよね。近くにあったら何かの拍子で干渉しあって大変なことになるかもしれないと思ったから。そしてどうやらそれが、一種の蓋のような役割を果たしていたようなんだ」
つまりは、悪魔が出現しなかったのはそれが原因、ということらしい。
強力な力が蓋となっていたため、悪魔が現れることが出来なかったのだ。
「でも、つい五年ほど前にそのうちの一つが壊された」
「……悪魔が頻繁に出てくるようになったのは、それが原因、ということなのじゃ?」
「いや、そうじゃないよ? 抑えつけていたとはいえ、それがなくなったところで元に戻るだけだからね。だから問題なのは……その力は抑えておくだけじゃなくて、悪魔を呼び出す媒介としても使えてしまった、ということかな?」
「……あの時のことであるか」
「うん。そしてどうやら世界はそれを認識してしまったらしくてね。ほら、試すには絶好なものが都合よく飛び散っていたし」
「我輩が消滅させそこなったもの、ということであるか……」
どうやら思っていた以上に、因縁があるらしい。
最初からそのつもりではあったが、これは是が非でも何とかせねばならないようだ。
「自分のケツは自分で拭かねばならぬであろうしな……」
「まあ実際にはキミの責任はそこまでないんだけどね。正直ボクはそのことに世界が気付いてしまうのは時間の問題だっただろうと思ってるし。それに、本当の問題はそこではないんだよね。もう一度言うけど、今悪魔が頻繁に出現してるのは、あくまでも実験なんだよ」
「なるほど……本番はこれから、ということなのじゃな」
「砕かれてはいない力の欠片を使っての顕現、ということであるか。砕かれた欠片であれほどの悪魔が呼び出せたということは……」
「うん、かなり強力な最上位の悪魔が出てくるだろうね。しかも今は力が弱いから人に取り憑かなければ存在を保てないけど、それらはきっとそういうことはない」
各地にあるという、あの時のソーマが全力を使っても相殺しきれなかった力と、同等のもの。
それを媒介に使うというのであれば、確かに相当に強力な存在が現れるに違いない。
「だがその封印をしたのは、汝らなのであろう? ならば今のうちにその場所にいって力の欠片を消滅させてしまえばいいのではないであるか? おそらく今の我輩ならば可能であろうしな」
「そうできればよかったんだけど……実はボクは正確な場所を知らないんだよね。万が一の時のため……ボクも壊れて堕ちてしまった時、その力を悪用する事がないように。ボクの力を使って封印はしたけど、ボクは現場には赴かなかったんだ。権能を取り出すだけならば、それでも可能だったからね」
「ふうむ……なるほどそれは……」
「見事に裏目に出たのじゃな……」
とはいえ、さすがにそれを責めるわけにはいかないだろう。
ヒルデガルドもそれは分かっているようで、責めるようなことは何も言わず……だが、あるいはその方がよほど堪えたのかもしれない。
サティアは何かを言いたげに口を開き、しかし結局その口から出てきたのは話の続きであった。
「……ともあれ、残された力の欠片は、四つ。だから、ほぼ四体の強力な悪魔が出てくると考えてくれていいと思う。彼女の力を使って現れた、世界を滅ぼす意思を持った悪魔だ」
「ふむ……それでも正直に言うのであれば、正面から来てくれるのであれば負ける気はしないのであるがな。汝もそう思ったからこそ我輩に声をかけたのであろうし」
「まあね。ただ……あくまでもそれは、正面から来るならば、の話なんだよね」
「悪魔というのは、基本狡猾じゃからな……」
「うん。単独で顕現可能だとはいえ、本当にそうなっているとは考えない方がいいとは思う。協力者を作るんじゃないかな、ってのがボクの推論かな。力を持った人を相手に、自分に都合のいい情報を与えたりして誑かすんじゃないか、とかってボクは思ってるよ」
「ありえそうな話であるな……」
少なくとも、それを否定する材料はない。
悪魔が狡猾だというのは、ソーマでも知っている程度には有名な話だ。
この世界ではどうなのかは知らないが……サティアの様子を見る限りでは変わりないようである。
つまりは、悪魔にだけ気をつけていればいいだけではない、ということだ。
まだほんの触りを聞いただけではあるが……思っていた以上の厄介事になりそうだ。
そう思ってソーマは、息を一つ吐き出すのであった。