病の治った母親の姿を、ダニエラは最初信じられないものでも見るような顔をして眺めていた。
助けを乞うてみたところで、実際には無理だと思っていたのだろう。
まあ、当然のことではある。
ダニエラの母の病は、本来は死の病なのだという。
そんなものを偶然通りかかっただけの人物が治せるなどと心底信じていたとしたら、逆に心配になるぐらいだ。
信じたいと思っていたとしても、信じきれないというのが普通なのである。
だが本当に治ったのだという事が分かった瞬間、ダニエラの感情は爆発した。
まず目からは涙が溢れ、しかし口元には笑みが浮んだ。
そしてそのまま、何度も何度も頭を下げては感謝の言葉を口にしてきたのである。
ありがとうございますと、声は震えてはいたが、心からの感謝が込められていると耳にした誰もが認識出来るような、真摯な言葉であった。
ちなみに、治したのは結局アイナということになっていたので、それを向けられたのはアイナだ。
心底困ったような顔をし、代わりなさいとばかりの顔をソーマに向けてはきたが、当然の如くスルーである。
泣き疲れたのか、それとも単純に疲労が溜まっていたのか、あるいはその双方に加えて安堵で緊張の糸が切れてしまったのか、ダニエラが唐突にその場に倒れて込んでしまうまで、その状況は続いた。
で。
「ったく、もう……あたしは何もしてないってのに。罪悪感が凄いんだけど……?」
「なに、どうせアイナはすぐにあんな病など治せるようになるであろうしな。結局は同じことである」
「全然違うわよ……! まったく、本当にあんたは……!」
「……でも、ダニエラは感謝してた」
「そうだろうけど、それは本来あたしが受け取るものじゃないもの。……でもまあ、だからこそ、思いもしたけど。あの言葉が嘘にならないように、あの言葉に相応しいあたしになってみせる、って」
そう言ったアイナの目は、決意に満ちていた。
多少無理やりではあったが、どうやら今回のことは上手くいったようだ。
アイナの横顔を眺めながら小さく息を吐き出しつつ、さてと呟く。
「それで結局、どこへ向かっているのである?」
その言葉を向けたのは、シーラに対してだ。
さすがに起きている家の人間がいなくなってしまったダニエラの家に長居するわけにはいかず、ダニエラの家は後にしたのだが、では改めてどこかで話をするとしようかとなったところで、シーラがどこかへと先導を始めたのである。
まあどこに向かっているのかは何となく想像は付くのだが……そんなことを言っている間に、シーラは一軒の家の前で足を止めた。
ダニエラの家と似通った木造立ての家であり、シーラは躊躇なくその扉へと近づいて行くと無造作に開ける。
そしてそのまま家の中へと足を踏み入れたところで振り返ると、一言告げてきた。
「……ん、入って」
「……相変わらず言葉足らずよねえ」
「まあ何となく予測は付くからいいのではないであるか?」
「まあそうなんだけど」
そんなことを言いながら後に続けば、やはり内装もダニエラの家と似通ったものであった。
どうやら部屋の数も同じようであり、ただし今度は部屋まで行くことはない。
居間まで通されると、シーラは椅子の一つに座り、視線でソーマ達にも座るよう促してくる。
相変わらずのそんな様子に苦笑も浮かべるも、特に逆らう意味はない。
従って二人とも椅子に座ると、とりあえず真っ先に聞いておくべき事を聞くべく口を開いた。
「ふむ……とりあえずこの家はシーラの家ってことでいいのであるか?」
「……ん、厳密には借りてるけど、そうなる」
「ということはやっぱり、ここに住んでるってことになるのよね?」
「……ん」
「ダニエラから、この村に用心棒が雇われている、という話を耳にしたのであるが……」
「……ん、それ私」
やはりか、と頷く。
本来ベリタスの人間ではないシーラがここにいることを考えれば、そういうことにしかなるまい。
問題はどうしてそんなことになったのか、ということだが――
「……情報収集のためにベリタスに来たら、色々あってこうなった」
促す視線を向けるとシーラはそう語ったが、ぶっちゃけよく分からないままであった。
というか、その色々が大事だとは思うのだが……まあ、少しずつ解きほぐしていくしかなさそうである。
「情報収集って、いつからやってるのよ?」
「……ん、結構前? ……ソーマが姿を消した後から」
「む? そこなのであるか?」
それは少し予想外であった。
てっきりソーマ達がここに来たのと同じ意味での情報収集なのかと思っていたからだ。
だが少し考えてみれば、これは当たり前だということに気付く。
単純に物理的な距離だ。
ソーマ達が今いる場所は皇国に近い国境付近なのである。
ラディウスからは離れすぎており、さすがに二週間で移動するのは困難であった。
「ふむ……情報収集とは、そもそも何の情報を集めていたのである?」
「……色々?」
「そりゃまあそうなんでしょうけど……じゃあ、何でそんなことになったのよ?」
「……ソーマを支援するため?」
「我輩を、であるか?」
「……ん、これは私というよりもラディウス全体の意思決定によるもの。……ヒルデガルドは早とちりとは言ったけど、ラディウスは聖女からの言葉をまったくの嘘だとは思わなかった。……むしろ、いつか実際に似たようなことが起こるだろうと予測した。……そして、実際そうなった」
「それって皇国からの宣告、のことよね?」
「……ん。……でも私が動いたのはあれよりも前。……ラディウスとして動くには、まず懸念事項があったから」
「ああ、なるほど、そういうことであるか。確かに内乱真っ只中のベリタスがどうなってどう動くのか、ということはラディウスからすれば最も知るべきことであるな」
「でもそれで、何でシーラが動いたのよ? 戦闘能力って考えるならば、確かに問題はないだろうけど、エルフってことを考えると動きにくい気がするんだけど?」
以前にも触れた事があるが、ベリタスは人類種の国だ。
他の種族は生き難く、過ごし難い。
内乱真っ只中ということもあり、エルフがいたら間違いなく目立つだろう。
しかしそんなアイナの疑問に、シーラは首を横に振って答えた。
「……むしろ、エルフだからこそ動き回ってもおかしくない。……何かに巻き込まれたら、情報を集めようと動き回るのは普通。……分からないことだらけなら尚更」
「あー……なるほど? 巻き込まれた風を装えば、エルフだからこそベリタス中を動き回っていてもおかしくはない、のかしらね?」
「まあどちらにせよ警戒はされるであろうが、確かに人類種の誰かが動き回るよりかは警戒されんであろうな」
「……あとは、私はラディウスの中でおそらく最も知られてない」
「ああ……基本的に顔隠してるものね。学院の中では別だったけど、それこそ外には知られてないだろうし」
「……ん、それで色々と探ってたら、ある時ある人を助けることになった」
「ある人、であるか?」
「……ん、ここの村長。……それで、そこからは流れで用心棒をやることになった」
「ちょっと待って、また話が飛んだ気がするんだけど? 情報収集はどこいったのよ?」
個人で動いているのであれば好きにすればいいが、シーラは先ほどラディウスとして動いていると言っていた。
なのに情報収集を放って一つの村の用心棒をしだすのはまずいだろう。
だが、シーラがそんな雑なことをやるとは思わないので、そこに何らかの理由があるのは間違いあるまい。
その結果用心棒をやることの方が優先すべきとなったのか……あるいは。
そうは見えないというだけで、実際には情報収集を兼ねているか、である。
「ふむ……ところで、この村はラディウスからは大分遠いであるが、どうしてそんなところの村長と遭遇する機会が訪れたのである?」
「……ん、色々と事情あり」
「いえまあそうなんでしょうけどね」
「……正直、話して良いのかが分からないから、話せない」
「ほぅ……まあ、どう考えても事情ありな村であるしな」
何せあそこまで大層な結界が張ってあったのだ。
これで事情がないとか言われた方が驚きだ。
しかもシーラがそこまではっきり口にするということは、どうやら大分大きな厄介事を抱えているようである。
ここは下手に突くべきではあるまい。
が、同時にだからこそ、ある程度は知っておく必要もあるだろう。
何も知らないということは、基準とすべきことを何も持たないということである。
気が付いたら手遅れなところにまで手を突っ込んでいたということにもなりかねない。
シーラが関わっているという時点で巻き込まれるのも吝かではないのだが、その程度ぐらいは知っておきたいところだ。
ベリタスには推測に過ぎないが、悪魔がいる可能性が高いのである。
さすがのソーマでも悪魔を相手取りながら他のことも出来るほどの余裕があるとは思えない。
そんなことにならないよう、情報収集はしっかりしておく必要があった。
「ふむ……言えないのであれば言わなくて構わないのであるが、この村は結局どういう村なのである? パッと見た限りではそこまでの厄介事を抱えているようには見えなかったのであるが」
「……ん、村の人達は基本家から出てこないようにしてるから、そう思うのも当然」
「ってことは、村の人達に何かがある、ってこと、よね? でもダニエラ達は普通に見えたわよ?」
「……ん、ダニエラの母親は普通の人類種だから当然。……ダニエラも、血が薄いから外見上は分からない」
「なるほど……それだけで十分分かったのである。つまりは、ここは主に人類種以外が住む村であるか」
こくりと頷くシーラを眺めつつも、正直なところソーマとしては驚いていた。
先にも述べた通り、ベリタスは人類種の国だ。
それはつまり、村一つとっても、人類種が作り出した集落以外は存在しないということである。
人類種の国とはそういうことであり、中でもベリタスはその辺のことを徹底していたはずだ。
確かにここは国境に近く、ベリタスからすれば外れも外れではあるが、それでも人類種以外が住む村が存在しているなど、少なくともソーマは初耳であった。
「……ん、だからここは、一種の隠れ里。……ということに、なってる」
「なってる?」
「……これ以上は聞かない方がいい」
「……そうであるか」
実はこの時点でソーマの頭にはある事柄が過ってはいたのだが、敢えてそれを口に出すことはしなかった。
その瞬間間違いなく厄介事に巻き込まれる事が確定するからだ。
さすがにここで巻き込まれていいと思うほどには、情報が足りてはいなかった。
「……主に人類種以外の人達が住む隠れ里、のような場所? あれ……もしかして……?」
「む? アイナ、何か気付いたことがあるのであるか?」
「あるって言えばあるんだけど……いえ、いいわ。まだ確証がないもの。確証もないのに話せる類のものではないし、確信出来たら話すわ」
「ふむ、そうであるか……」
ソーマの頭を過ったことと同じかは分からないが、とりあえずは言及しない方がよさそうだ。
そしてとりあえずは、聞くべきはこんなところだろうか。
「……ん、終わり?」
「そうであるな。分からないことも多いではあるが、大体シーラの事情は分かったであるしな」
「そうね。後は話せない内容になりそうだし」
「……ん、じゃあ次はこっちの番。……ソーマ達は、どうしてここに?」
シーラの疑問に、ソーマは最初から順を追って説明して行った。
聖都についていったこと、神に会ったこと。
魔王のこと、悪魔のこと、ヒルデガルドやアイナと会い、そうして皇国へと連れて行かれたこと。
皇国での顛末も語り、どうしてここに来ることになったのか、シーラ相手であれば隠すようなこともないので、ざっとではあるが大体のところを口にした。
「……ん、さすがソーマ? ……相変わらず」
「まあ、そんな感想になるわよね」
「我輩としては、そう言われても、という感じなのであるがな」
シーラはさすがに神と会ったと言った時には驚いた様子を見せたものの、他の時はいつも通りの表情に乏しい顔のままであった。
だが口ぶりからするに、どうやら他のことに関してもそれなりに驚いたりしていたようだ。
それからシーラは自分の中で今の話を咀嚼するように何度か頷いた後で、改めてこちらへと視線を向けてきた。
「……ん、つまりソーマ達は、あの光が何なのかを調べるためにここに?」
「あの、という言い方をするということは、シーラも見たということであるか?」
「……ん、見た。……村の人達も皆見たらしい。……ただ、それ以外は私達も分からない」
「大元はどの辺だったのか、ってことも?」
「……ん、方角的には王都のある方角、ぐらい? ……アレに関してはこっちでも今調査中」
「うん? 調査しているのであるか?」
「……ん、まだ大したことは出来ていないけど、一応」
「ふむ……」
そう言うということは、やはりソーマの予想が当たっていたと考えて間違いなさそうである。
即ち、シーラは用心棒をしながらも、実際には情報収集も行っているということで、だ。
ということは……と思いアイナへと視線を向けると、肩をすくめられた。
どうやらアイナもソーマと同じ結論に達したようで、その上で好きにすればいいと言ってくれているのだろう。
ありがたいことだ。
そしてならば、好きにするのに躊躇する必要はあるまい。
「ふむ……その調査に手伝いは必要であるか?」
むしろその言葉に驚いたのはシーラだったようだ。
目を数度瞬かせると、予想外だとでも言うかのように首を傾げる。
「……いいの?」
「まあ、シーラが困ってそうであるし、何となく結果的にそうした方が早く情報を入手できそうな気がするであるしな」
「まああたし達って情報収集するにしても伝手とか何もないものね。シーラと協力出来るのならば、それが一番だと思うわ。……色々と気になることはあるけど」
「ま、その辺は追々といったところであろう。それで、どうなのであるか?」
首を傾げたまま瞬きを繰り返すシーラであったが、やがてその口元が少しだけ緩んだ。
そして。
「……ん、もちろん――」
「――もちろん、大歓迎なのであります!」
瞬間、シーラの言葉に被せるようにして、声が響いた。
しかし当然ながら、それはソーマでなければアイナのものでもない。
そもそも声は、明らかに家の外から聞こえてきていたのだ。
反射的にソーマが身構えながら家の扉の方へと視線を向けたのと、その扉が開いたのはほぼ同時であった。
カツンと、床を踏み鳴らす音が響く。
二度、三度と同じ音が響き……そうして姿を見せたのは、見知らぬ人物であった。
その顔はどことなく中性的だ。
男のようにも見えるし、女のようにも見える。
少なくとも格好は男のものではあったが……どちらかの性別だと断言されてしまえば、それがどちらであろうとも納得出来そうな、そんな人物であった。
「……村長?」
と、シーラの呟きに答えるように、その人物は口元に深い笑みを刻む。
そして、ソーマの目を真っ直ぐに見つめ――
「初めましてであります! 自分の名前は、セシル・レプシウスであります! どうぞよろしくなのであります!」
そんな言葉を、口にしたのであった。
病の治った母親の姿を、ダニエラは最初信じられないものでも見るような顔をして眺めていた。
助けを乞うてみたところで、実際には無理だと思っていたのだろう。
まあ、当然のことではある。
ダニエラの母の病は、本来は死の病なのだという。
そんなものを偶然通りかかっただけの人物が治せるなどと心底信じていたとしたら、逆に心配になるぐらいだ。
信じたいと思っていたとしても、信じきれないというのが普通なのである。
だが本当に治ったのだという事が分かった瞬間、ダニエラの感情は爆発した。
まず目からは涙が溢れ、しかし口元には笑みが浮んだ。
そしてそのまま、何度も何度も頭を下げては感謝の言葉を口にしてきたのである。
ありがとうございますと、声は震えてはいたが、心からの感謝が込められていると耳にした誰もが認識出来るような、真摯な言葉であった。
ちなみに、治したのは結局アイナということになっていたので、それを向けられたのはアイナだ。
心底困ったような顔をし、代わりなさいとばかりの顔をソーマに向けてはきたが、当然の如くスルーである。
泣き疲れたのか、それとも単純に疲労が溜まっていたのか、あるいはその双方に加えて安堵で緊張の糸が切れてしまったのか、ダニエラが唐突にその場に倒れて込んでしまうまで、その状況は続いた。
で。
「ったく、もう……あたしは何もしてないってのに。罪悪感が凄いんだけど……?」
「なに、どうせアイナはすぐにあんな病など治せるようになるであろうしな。結局は同じことである」
「全然違うわよ……! まったく、本当にあんたは……!」
「……でも、ダニエラは感謝してた」
「そうだろうけど、それは本来あたしが受け取るものじゃないもの。……でもまあ、だからこそ、思いもしたけど。あの言葉が嘘にならないように、あの言葉に相応しいあたしになってみせる、って」
そう言ったアイナの目は、決意に満ちていた。
多少無理やりではあったが、どうやら今回のことは上手くいったようだ。
アイナの横顔を眺めながら小さく息を吐き出しつつ、さてと呟く。
「それで結局、どこへ向かっているのである?」
その言葉を向けたのは、シーラに対してだ。
さすがに起きている家の人間がいなくなってしまったダニエラの家に長居するわけにはいかず、ダニエラの家は後にしたのだが、では改めてどこかで話をするとしようかとなったところで、シーラがどこかへと先導を始めたのである。
まあどこに向かっているのかは何となく想像は付くのだが……そんなことを言っている間に、シーラは一軒の家の前で足を止めた。
ダニエラの家と似通った木造立ての家であり、シーラは躊躇なくその扉へと近づいて行くと無造作に開ける。
そしてそのまま家の中へと足を踏み入れたところで振り返ると、一言告げてきた。
「……ん、入って」
「……相変わらず言葉足らずよねえ」
「まあ何となく予測は付くからいいのではないであるか?」
「まあそうなんだけど」
そんなことを言いながら後に続けば、やはり内装もダニエラの家と似通ったものであった。
どうやら部屋の数も同じようであり、ただし今度は部屋まで行くことはない。
居間まで通されると、シーラは椅子の一つに座り、視線でソーマ達にも座るよう促してくる。
相変わらずのそんな様子に苦笑も浮かべるも、特に逆らう意味はない。
従って二人とも椅子に座ると、とりあえず真っ先に聞いておくべき事を聞くべく口を開いた。
「ふむ……とりあえずこの家はシーラの家ってことでいいのであるか?」
「……ん、厳密には借りてるけど、そうなる」
「ということはやっぱり、ここに住んでるってことになるのよね?」
「……ん」
「ダニエラから、この村に用心棒が雇われている、という話を耳にしたのであるが……」
「……ん、それ私」
やはりか、と頷く。
本来ベリタスの人間ではないシーラがここにいることを考えれば、そういうことにしかなるまい。
問題はどうしてそんなことになったのか、ということだが――
「……情報収集のためにベリタスに来たら、色々あってこうなった」
促す視線を向けるとシーラはそう語ったが、ぶっちゃけよく分からないままであった。
というか、その色々が大事だとは思うのだが……まあ、少しずつ解きほぐしていくしかなさそうである。
「情報収集って、いつからやってるのよ?」
「……ん、結構前? ……ソーマが姿を消した後から」
「む? そこなのであるか?」
それは少し予想外であった。
てっきりソーマ達がここに来たのと同じ意味での情報収集なのかと思っていたからだ。
だが少し考えてみれば、これは当たり前だということに気付く。
単純に物理的な距離だ。
ソーマ達が今いる場所は皇国に近い国境付近なのである。
ラディウスからは離れすぎており、さすがに二週間で移動するのは困難であった。
「ふむ……情報収集とは、そもそも何の情報を集めていたのである?」
「……色々?」
「そりゃまあそうなんでしょうけど……じゃあ、何でそんなことになったのよ?」
「……ソーマを支援するため?」
「我輩を、であるか?」
「……ん、これは私というよりもラディウス全体の意思決定によるもの。……ヒルデガルドは早とちりとは言ったけど、ラディウスは聖女からの言葉をまったくの嘘だとは思わなかった。……むしろ、いつか実際に似たようなことが起こるだろうと予測した。……そして、実際そうなった」
「それって皇国からの宣告、のことよね?」
「……ん。……でも私が動いたのはあれよりも前。……ラディウスとして動くには、まず懸念事項があったから」
「ああ、なるほど、そういうことであるか。確かに内乱真っ只中のベリタスがどうなってどう動くのか、ということはラディウスからすれば最も知るべきことであるな」
「でもそれで、何でシーラが動いたのよ? 戦闘能力って考えるならば、確かに問題はないだろうけど、エルフってことを考えると動きにくい気がするんだけど?」
以前にも触れた事があるが、ベリタスは人類種の国だ。
他の種族は生き難く、過ごし難い。
内乱真っ只中ということもあり、エルフがいたら間違いなく目立つだろう。
しかしそんなアイナの疑問に、シーラは首を横に振って答えた。
「……むしろ、エルフだからこそ動き回ってもおかしくない。……何かに巻き込まれたら、情報を集めようと動き回るのは普通。……分からないことだらけなら尚更」
「あー……なるほど? 巻き込まれた風を装えば、エルフだからこそベリタス中を動き回っていてもおかしくはない、のかしらね?」
「まあどちらにせよ警戒はされるであろうが、確かに人類種の誰かが動き回るよりかは警戒されんであろうな」
「……あとは、私はラディウスの中でおそらく最も知られてない」
「ああ……基本的に顔隠してるものね。学院の中では別だったけど、それこそ外には知られてないだろうし」
「……ん、それで色々と探ってたら、ある時ある人を助けることになった」
「ある人、であるか?」
「……ん、ここの村長。……それで、そこからは流れで用心棒をやることになった」
「ちょっと待って、また話が飛んだ気がするんだけど? 情報収集はどこいったのよ?」
個人で動いているのであれば好きにすればいいが、シーラは先ほどラディウスとして動いていると言っていた。
なのに情報収集を放って一つの村の用心棒をしだすのはまずいだろう。
だが、シーラがそんな雑なことをやるとは思わないので、そこに何らかの理由があるのは間違いあるまい。
その結果用心棒をやることの方が優先すべきとなったのか……あるいは。
そうは見えないというだけで、実際には情報収集を兼ねているか、である。
「ふむ……ところで、この村はラディウスからは大分遠いであるが、どうしてそんなところの村長と遭遇する機会が訪れたのである?」
「……ん、色々と事情あり」
「いえまあそうなんでしょうけどね」
「……正直、話して良いのかが分からないから、話せない」
「ほぅ……まあ、どう考えても事情ありな村であるしな」
何せあそこまで大層な結界が張ってあったのだ。
これで事情がないとか言われた方が驚きだ。
しかもシーラがそこまではっきり口にするということは、どうやら大分大きな厄介事を抱えているようである。
ここは下手に突くべきではあるまい。
が、同時にだからこそ、ある程度は知っておく必要もあるだろう。
何も知らないということは、基準とすべきことを何も持たないということである。
気が付いたら手遅れなところにまで手を突っ込んでいたということにもなりかねない。
シーラが関わっているという時点で巻き込まれるのも吝かではないのだが、その程度ぐらいは知っておきたいところだ。
ベリタスには推測に過ぎないが、悪魔がいる可能性が高いのである。
さすがのソーマでも悪魔を相手取りながら他のことも出来るほどの余裕があるとは思えない。
そんなことにならないよう、情報収集はしっかりしておく必要があった。
「ふむ……言えないのであれば言わなくて構わないのであるが、この村は結局どういう村なのである? パッと見た限りではそこまでの厄介事を抱えているようには見えなかったのであるが」
「……ん、村の人達は基本家から出てこないようにしてるから、そう思うのも当然」
「ってことは、村の人達に何かがある、ってこと、よね? でもダニエラ達は普通に見えたわよ?」
「……ん、ダニエラの母親は普通の人類種だから当然。……ダニエラも、血が薄いから外見上は分からない」
「なるほど……それだけで十分分かったのである。つまりは、ここは主に人類種以外が住む村であるか」
こくりと頷くシーラを眺めつつも、正直なところソーマとしては驚いていた。
先にも述べた通り、ベリタスは人類種の国だ。
それはつまり、村一つとっても、人類種が作り出した集落以外は存在しないということである。
人類種の国とはそういうことであり、中でもベリタスはその辺のことを徹底していたはずだ。
確かにここは国境に近く、ベリタスからすれば外れも外れではあるが、それでも人類種以外が住む村が存在しているなど、少なくともソーマは初耳であった。
「……ん、だからここは、一種の隠れ里。……ということに、なってる」
「なってる?」
「……これ以上は聞かない方がいい」
「……そうであるか」
実はこの時点でソーマの頭にはある事柄が過ってはいたのだが、敢えてそれを口に出すことはしなかった。
その瞬間間違いなく厄介事に巻き込まれる事が確定するからだ。
さすがにここで巻き込まれていいと思うほどには、情報が足りてはいなかった。
「……主に人類種以外の人達が住む隠れ里、のような場所? あれ……もしかして……?」
「む? アイナ、何か気付いたことがあるのであるか?」
「あるって言えばあるんだけど……いえ、いいわ。まだ確証がないもの。確証もないのに話せる類のものではないし、確信出来たら話すわ」
「ふむ、そうであるか……」
ソーマの頭を過ったことと同じかは分からないが、とりあえずは言及しない方がよさそうだ。
そしてとりあえずは、聞くべきはこんなところだろうか。
「……ん、終わり?」
「そうであるな。分からないことも多いではあるが、大体シーラの事情は分かったであるしな」
「そうね。後は話せない内容になりそうだし」
「……ん、じゃあ次はこっちの番。……ソーマ達は、どうしてここに?」
シーラの疑問に、ソーマは最初から順を追って説明して行った。
聖都についていったこと、神に会ったこと。
魔王のこと、悪魔のこと、ヒルデガルドやアイナと会い、そうして皇国へと連れて行かれたこと。
皇国での顛末も語り、どうしてここに来ることになったのか、シーラ相手であれば隠すようなこともないので、ざっとではあるが大体のところを口にした。
「……ん、さすがソーマ? ……相変わらず」
「まあ、そんな感想になるわよね」
「我輩としては、そう言われても、という感じなのであるがな」
シーラはさすがに神と会ったと言った時には驚いた様子を見せたものの、他の時はいつも通りの表情に乏しい顔のままであった。
だが口ぶりからするに、どうやら他のことに関してもそれなりに驚いたりしていたようだ。
それからシーラは自分の中で今の話を咀嚼するように何度か頷いた後で、改めてこちらへと視線を向けてきた。
「……ん、つまりソーマ達は、あの光が何なのかを調べるためにここに?」
「あの、という言い方をするということは、シーラも見たということであるか?」
「……ん、見た。……村の人達も皆見たらしい。……ただ、それ以外は私達も分からない」
「大元はどの辺だったのか、ってことも?」
「……ん、方角的には王都のある方角、ぐらい? ……アレに関してはこっちでも今調査中」
「うん? 調査しているのであるか?」
「……ん、まだ大したことは出来ていないけど、一応」
「ふむ……」
そう言うということは、やはりソーマの予想が当たっていたと考えて間違いなさそうである。
即ち、シーラは用心棒をしながらも、実際には情報収集も行っているということで、だ。
ということは……と思いアイナへと視線を向けると、肩をすくめられた。
どうやらアイナもソーマと同じ結論に達したようで、その上で好きにすればいいと言ってくれているのだろう。
ありがたいことだ。
そしてならば、好きにするのに躊躇する必要はあるまい。
「ふむ……その調査に手伝いは必要であるか?」
むしろその言葉に驚いたのはシーラだったようだ。
目を数度瞬かせると、予想外だとでも言うかのように首を傾げる。
「……いいの?」
「まあ、シーラが困ってそうであるし、何となく結果的にそうした方が早く情報を入手できそうな気がするであるしな」
「まああたし達って情報収集するにしても伝手とか何もないものね。シーラと協力出来るのならば、それが一番だと思うわ。……色々と気になることはあるけど」
「ま、その辺は追々といったところであろう。それで、どうなのであるか?」
首を傾げたまま瞬きを繰り返すシーラであったが、やがてその口元が少しだけ緩んだ。
そして。
「……ん、もちろん――」
「――もちろん、大歓迎なのであります!」
瞬間、シーラの言葉に被せるようにして、声が響いた。
しかし当然ながら、それはソーマでなければアイナのものでもない。
そもそも声は、明らかに家の外から聞こえてきていたのだ。
反射的にソーマが身構えながら家の扉の方へと視線を向けたのと、その扉が開いたのはほぼ同時であった。
カツンと、床を踏み鳴らす音が響く。
二度、三度と同じ音が響き……そうして姿を見せたのは、見知らぬ人物であった。
その顔はどことなく中性的だ。
男のようにも見えるし、女のようにも見える。
少なくとも格好は男のものではあったが……どちらかの性別だと断言されてしまえば、それがどちらであろうとも納得出来そうな、そんな人物であった。
「……村長?」
と、シーラの呟きに答えるように、その人物は口元に深い笑みを刻む。
そして、ソーマの目を真っ直ぐに見つめ――
「初めましてであります! 自分の名前は、セシル・レプシウスであります! どうぞよろしくなのであります!」
そんな言葉を、口にしたのであった。